[SIJ: 20814] 生々流転・影と遊ぶ/浄土真宗本願寺派 西念寺主催 ご案内

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2020年 7月 9日 (木) 16:52:21 JST


皆様へ。



大雨の宮崎から先日帰阪いたしました。

隣県の熊本では大きな犠牲が出ているさなかでの未二観影舞の時空間でありました。

宮崎に集った「九州人」の方々との間に生まれた絆に報いて生きて往くことは、今後
も僕の辿るべき筋道であると思います。



日本中で未曽有の洪水災害が続く今、愛知県名古屋市の浄土真宗本願寺派 西念寺の
ご住職と坊守のお二人によって

開催が成立いたしました円影未二の舞台をご案内いたします。



浄土真宗本願寺派 西念寺(名古屋)主催

生々流転・影と遊ぶ/橋本久仁彦さんWS


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浄土真宗の「浄土」とは簡単に読めば、清浄な土地、場所のことです。

我々人間にとってより良い場所を求め、土地も人の心も清浄であれと願って今日も各
地で集会が行われています。

「場づくり」や「グループ」や「ワーク」といった言葉が生まれ、一般の多くの人々
がグループワークやファシリテーションなど、場の内容となる対人関係の勉強をして
います。

「普通の人々の集まりと人間関係」に価値が見出され、市民による無数の「場」が世
界中に生まれています。

このような現象は人類の歴史上初めてのことであると思います。



ところで「仏法僧」とは鳥の名前にもなっているほどなじみのある言葉ですが、

このうちの「僧」はサンガという集まり、すなわち悟りへの道筋が通っている「人の
集まる場」を示しています。

「僧」とは実は場所のことなのですね。

そして僧侶とはお互いに「仏法」と呼ばれる「真実」への道筋を通し合って生きる仲
間のことです。



仏教の僧侶ではなく、ただの円坐守人である僕にとって「浄土」とは、我々がそこか
ら来た根源的な場所のこと、ふるさとのことです。

円坐はそのまま「ふるさとの坐」に通じています。縁坐舞台はふるさとが映り込む舞
台、未二観はふるさとから見た風景です。



浄土宗が浄土という「場所」を大事にして来たのに対して、浄土真宗は「真」という
言葉を加えました。

この「真」とは何でしょうか?

15分間の言葉を「てにをは」まで辿る未二観辿者(てんじゃ)としての僕にとっ
て、「真」とは語り手の口から出てくる言葉そのもののことです。

すなわち言葉と場所を区別して自覚していた二元的な意識から、言葉がそのまま場所
であることを自覚自証した一元的意識への転向を「真」と言います。



真とは人の語る口から出てくるのが「事・場」すなわち「その人」という場所である
こと。そしてそれを自覚するのは場所を越えた場所であるということ。

意味や情報を求め、集め、さらに探して生きる現代人としての我々は、自分の言葉を
語りながらも「意味」にとらわれ自分を見失っていきます。



15分間の間、人の言葉を「てにをは」まで辿り切る人は、人が本当に語っているの
は「言葉の意味」ではなく「てにをは」という「自分の意識の住む場所」であること
を知ります。

「てにをは」は、我々が本当に住んでいる場所、心の景色、心境を形作る境界線であ
り輪郭です。

人の語る言葉は、その人が現在住んでいる意識世界を示しているのです。

その事実の了解の上で用いられる言葉、一つの世界を越えた言葉は、世界と世界とを
橋渡すための「体」となって働くことができます。



先日お話しした「指月の指」というわけですね。





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宮崎へは、2年間家を離れていた長女が加わり、橋本一家全員で参りました。

「私は橋本家長女の・・」「僕は橋本家長男の・・」と名乗って始まるいわゆる「円
坐家族」は、地方では初めての開催なので新鮮な経験でしたが、

地元の方々はとても好意的に迎えてくださいました。

ある女性は「家族全員でこのようなグループに来られること自体衝撃的です。びっく
りしました。私も家族のところへ行きたくなりました」と語ってくださいました。

良し悪しはともあれ、円坐家族はこのあとも徳島上勝、香川三豊、高知室戸、同じく
四万十、大阪高槻、岐阜恵那を行脚し、さらに有縁の土地を訪ねてなごりを惜しんで
いきます。



僕は農村舞台やドサ廻りの形を一つの理想と考えていましたが、思いがけぬ形で、そ
の本質が実現しているようです。



引き続きご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。



         

                    『生々流転・影と遊ぶ』 守人 橋本久
仁彦(Sw.Deva Premi)















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