[SIJ: 23185] プログラム案内&出版案内

Atimoda atimoda.atmo @ gmail.com
2023年 8月 11日 (金) 18:56:47 JST


ターラ瞑想センター、アティモダです。



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月からのトルコ・チラリでのグルジェフ・ムーヴメンツの長期プログラムとキャサリン・マンスフィールド作品集(五)の発行案内、それに続く最後の作品集(六)の予告です。



+-=* グルジェフ・ムーヴメンツ in Çıralı, Turkey +-=*+-=*+-=*+-=



*開催場所のÇıralı
はトルコ南西の地中海岸の村で、最寄りの空港はアンタルヤ、日本からはカタール航空、シンガポール航空、トルコ航空などでイスタンブールまで、そこから国内線。



2015年からのアルバム:

http://gurdjieff-osho.namaste.jp/english/album.html



◎ 3週間のインテンシヴ

(1) 11/7 (Tue) to 26 (Sun)

(2) 12/12 to 31 (Sun)

*(1) (2)とも事前に4日間のイントロダクションあり。参加費はそれを含めて各500ユーロ程度(食事・宿泊含まず)。



詳細(英語)および今年の春のプログラムからのビデオ;

http://gurdjieff-osho.namaste.jp/english/



l+-=* 出版案内 Amazon ペーパーバック版 & Kindle版 +-=*+-=*+-=*+-=



◎新刊『マンスフィールド作品集(五)<まっすつな心の冒険>ほか』



*当然の罰、過酷な試練、早すぎる死を自身にもたらすものでもあった<まっすつな心の冒険>の数々のエピソードを含んだ二十四編。



ホムページから販売サイトにリンク:

http://gurdjieff.la.coocan.jp/





l+-=* 出版予告 10月予定 +-=*+-=*+-=*+-=+-=*+-=*



キャサリン・マンスフィールド

『作品集(六)〈ハトの巣〉ほか 全二十編』



主として一九二二年十月からの最後の一年余りに『〈ハトの巣〉ほか』と題された作品集への収録を意図して書かれた未完を含めた二十編を収めている。



ハネムーン Honeymoon

一杯のお茶 A Cup of Tea

尼僧志願 Taking the Veil

ハエ The Fly

カナリア The Canary

ある結婚した男の物語 A Married Man's Story

ハトの巣 The Dove's Nest

六年がたって Six Years After

ダフネ Daphne

父と娘たち Father and the Girls

すべて静まりぬ! All Serene!

悪い考え A Bad Idea

男とその飼い犬 A Man and His Dog

なんともスイートな老婦人 Such a Sweet Old Lady

オネスティ Honesty

スザンナ Susannah

第二ヴァイオリン Second Violin

ウィリアムス夫妻 Mr. and Mrs. Williams

虚弱な心臓 Weak Heart

寡婦となりて Widowed



二人のマリア、すなわちイエスを失った後の〈母〉マリアと、もっとも深い関係にあったと察せられるも彼女を目の敵としたペテロおよびその周辺に生じたのちの主流派の一団とは行動を共にすることのなかったマグダレーナ(マグダラのマリア)が、それからどのような旅路をたどったかをめぐる、『ダヴィンチ・コード』で取り上げられて広く知られるようになった、南フランスとイギリスに関係した物語とマンスフィールドとの結び付きは、ついにほぼ全集の形を取ることとなったこれら全六冊の作品集の発汗を始める前に発表した『グルジェフ総論:メソテリック』で触れた。この最後の作品集の表題作である『ハトの巣』は、未完に終わってはいるものの、〈夫〉を若くして失った後に南フランスにやってきてそこに滞在するイギリス人の母娘、ふたりに付き添ってやはりイギリスからやってきた〈ローマン・カソリック〉のミス・アンダーソン、メイドのフランス娘のマリー、そしてそこを予告なく訪問する、亡くなった夫の知人で〈超男前〉のアメリカ人であるプロジャー氏を主要な登場人物とする、〈真の男〉としてのイエスの思い出とその再来への希望を描いた物語である。



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でも、いったいぜんたい、どうして男が一人いるという、それだけのことで、これほどの違いが生じるのか?
それはたしかに違いを生じさせた。大きな違いを生じさせた。ワインのグラスの間でその大きな手が動くのを見て、みんなどうしてここまでぞくぞくするのか?

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ワイン、パン、シュロの葉、子羊といった、物語んかの小道具が、かつて地上を歩いた〈真の男〉の思い出をほうふつとさせる。
「ワインがなくなったかから」と母マリアがイエスに〈奇跡を〉を強要し、イエスと母との関係が険悪になりかけたとも伝えられる〈カナの祝宴〉の物語もひとつのモチーフとなっているようで、物語がさらに続いたなら、それをめぐるちょっとしたどたばたが描かれたのではないかとうかがわれる。



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何を話すかはそんなに重要なことではなく、大事なのはむしろ会話の調子を下げないことだというのが、男の人にはわからないみたいだ。奇妙なり!
男たちのなかにあって最善と思える男であっても、その原則に従おうとしない。お父さんだって……。母は、思い出がそうあるべきであるほど甘いものではない思い出から顔をそむけた。

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さて、いまどきここでいう意味、すなわち秘められたイエスの教えで言うところの「真の男」はなかなか見つからない。それは作品集(一)に収録された『入江にて』での主題のひとつで、その大きな理由は、この物語では作者の父をモデルにしたスタンリーのように、ペテロ同様、トップダウンの教えの流れに従うのが「オトコ」だと勘違いしているから、あるいはもうひとりの登場人物であるその弟のジョナサンみたいに、その勘違いをわかっていながら、その流れに逆らって個としての一歩を踏み出す強さがないからである。その背景やその結果として男が男でなくなることで女が味わう失望や喪失感、それに変わるかのようの女が男になっていくありさまは、『前奏曲』、『小さな女の子』、『ミリー』、『夜遅く』、『六ペンス』、『毒』といった多くの作品で取り上げられている。

人は〈父〉もしくは〈神〉に発するトップダウンの力の作用に逆らることで〈男〉とならなければならない。この意味では、性別を問わず、男も女も〈男〉にならなければならない。ちなみにイエスに揺らう擦る次のような言葉は、〈トマスによる福音書〉の写本が発見される以前のマンスフィールドが生きた時代には知られていなかった。



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シモン・ペテロ[使徒ペテロ]はイエスに言った。「[マグダラの]マリアをわれわれの仲間に入れないでください。女には[永遠の]生へと至る資格がないのですから」。イエスは言った。「私がみずから彼女を導き、おまえたち男と同じように生きた魂となれるよう、彼女を男にしよう。みずからを男にした女たちはみな、天の王国に入るのだから」

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さて、『ハトの巣』の物語は途中で終わっているが、〈真の男〉の思い出に導かれてのマンスフィールドの旅は、一九二二念の十月、フランスのフォンテーヌブロー=アヴォンにグルジェフが設立した学院へと帰着する。十月二十日の日記にそこでの食事に関する記述があり、そのなかでのゴルゴンゾーラへの言及が『ハトの巣』の物語をグルジェフの学院でのことをめぐるマンスフィールドの記述に結び付けているように見えるのは気のせいだろうか。

 以下は、日記のなかでマンスフィールドが自信の完成した作品として最後のものと見なしているようにうかがわれる『カナリア』からの一節である。



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郷愁に似た、でも郷愁にあらざるもの。 あるいは後悔に似た、でも後悔にあらざるもの。それでもあれてそれを後悔と呼ぶなら、何に対する後悔なのか?
私にはそれに対して感謝すべきものがたくさんあるのに。

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のちにみずからも本人の言い方によるなら「作家に転向」したグルジェフは、その第一作である『べるぜバブが孫に語った物語』のなかで、これを「リモース」と呼んだ。ときに後悔や呵責としても体験される、〈絶対の太陽〉への回帰に向けての慕情である。





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Plavan @ グルジェフ&グルジェフ・ムーヴメンツ

http://gurdjieff.la.coocan.jp/



Atimoda @ Osho Tara M. C.

http://www.osho-tara.site/

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