[SIJ: 21183] 新春山月記(鬼)、新春相聞茶堂 ご案内

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2021年 1月 14日 (木) 23:32:04 JST


皆様へ。

 

新春のお慶びを申し上げます。

たとえどんな世界の有様の中を生きていても、こうして新年のご挨拶を有縁の方々に申し上げることができ、

まぶたに浮かぶ彼岸此岸の面影に向かえること、お迎えできることをうれしく、ありがたく思います。

 

この新春は1月5日の影舞山月記(鬼)で始まりました。

新年第二回めの影舞山月記(鬼)は1月19日火曜日18時45分に開催いたします。

例によって17時から、橋本悠の珈琲と橋本美佐子のカレーを純喫茶『リエ』にてご準備いたします。

 

四万十遠征出稽古はコロナの状況と積雪のため5月に延期となりました。

このたびの出稽古を主催した有無の一坐の橋本仁美は、昨年七月までの二年間を高知県の四万十町で暮らしました。

「仁美ちゃんが帰ってくる」と、カニを買ってごちそうの準備をしてくださっていた四万十のおばあさんや、

この時勢に有無の一坐の7人をご自宅に泊めてくださることに決めてくださったおじさんのお気持ちは

そのまま橋本仁美の四万十での暮らしの内実を豊かに証してくださる宝物であると思います。

 

携帯から響いてくるおばあさんのがっかりしたお声や、四万十での円坐にご参加くださる予定だった方々の

温かいお言葉を頂いてお一人お一人との絆を新たに結び直した橋本仁美は、賑やかにうれし泣きをしておりました。

 

こうして有無の一坐七人衆の道行きは、行き先を転じて思いがけず僕の亡き父母のふるさと淡路島へと定まったのでした。

白き車体のオデッセイ号を駆って七人は、イザナギイザナミの国生みの島淡路に影舞の時空間を結んで参りました。

そのいくつかの場面と景色は橋本仁美が映像に記録し、春に小さな映画館を借り切って上映する予定です。

 

「我々が観る映像とは彼岸の景色ではないか」ということを尊敬する友が教えてくれました。

我々が観る影舞の舞台空間の、浮世を離れた美しさは「我々の自己表現」ではないと思います。

我々ではなく、我々の周りが「あかるく」なり、はるか彼方へと奥行きが「ひらいて」

透明な光が差し込み世界の輪郭が新たになる。

 

この精神的な夜明けの景色は、一人の努力では見ることができません。

自分が期待し、欲しがっているイメージを打ち壊してくれる絶対的な他者が必要です。

「有無の一坐の影舞」を真摯に向かい合ってくださる「他の者」と舞うことによって、

「自分」が達成感を持ったり「今のわたしのままでいい」と気持ちよくなることはありえません。

指先ふれるその刹那、互いの「自分」は振れあい滅し合い「うむ」と吐息ひとつに身を捨てます。

 

昨年九月の第二回関ヶ原古戦場円坐において我々が観たのは、精神の真剣と真剣が交差する鋭利な音なき音でした。

良き対手に恵まれて、一期一会、一世一代の円坐影舞を「仕合い」「仕切った」守人は、その後の円坐で姿が変わります。

安楽を求める陶酔した表情が消え、人生にいやしや喜びを期待する油断がなくなります。

イメージを作った時だけそこにある「おのれの欠点」も、持って生まれたと思い込んだ「わたしの醜さ」も、

有無を言わさずひとつとなります。

厳寒に不動のたたずまいで寒立円坐影舞の坐衆方を見下ろし、対峙してくれたあの妙高の山の輪郭のように、

影舞うふたりはそのまま全世界とともにただある姿、「素型」となります。

 

この自我を超えた瞬間に我々は、我々が時間の中に生まれる以前から変わらずそこにあった、

凛々しく清々しい影舞の美の至極と出会います。

それは、我々が影舞うのではなく、世界がそのまま我々の影の舞いであったのだという美の極致です。

 

この舞いの舞台反転と「影」という輝き(影やき)の裏打ち裏返しの姿・移り映えを「相聞」とし、

人生転倒生死反転の景色を円坐にて言祝ぐ「茶堂」となして、「相聞茶堂」とは名乗りまする。

 

本年も何とぞどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

              円坐影舞有無の一坐 坐長  橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)

 

 

 

では以下に有無の一坐による新春・相聞茶堂のご案内をさせていただきます。

 

 

みなさま

 

あけましておめでとうございます。

謹んで新春の寿ぎを申し上げます。

 

新年の相聞茶堂は1月21日木曜日、

石切の橋本亭にて開催させていただきます。

 

二、三月は、場所は未定ですが日程は第三木曜日です。

 

四月になればまた高槻町のうららで、

お花見相聞茶堂も予定しております。

こちらは日程が決まり次第、

ご案内させていただきます。

 

 

昨年暮れの、

2年ぶり東京盆暮円坐に、

ご参集くださいましたご縁、

誠にありがとうございました。

大変ありがたい時間となりました。

 

逢坂中之島のイブイブ円坐では、

丁寧に丁寧に円坐空間に影舞が置かれてゆき、

舞台空間は此彼の眼差しに照らされ純度を増し、

冴え渡る刃の如く、影やき(かがやき)ました。

 

逢坂梅田の円坐ひとひろでは、 

師走の梅田を行き交う人々の川の流れに、

きくみるはなす縁坐舞台が幾重にもあらはれ、

最期は、近松物語のお初徳兵衛心中の地、露天神を未二観し、

そのふたりの場所と空間を寿いで、仕舞い(終い)ました。

 

この世のなごり、

夜もなごり、

死にに行く身をたとふれば、

あだしが原の道の霜、

一足づゝに消えて行く、

夢の夢こそあはれなれ、

あれ数ふれば、暁の、

七つの時が六つ鳴りて、

残る一つが今生の、

鐘の響の聞き納め、

寂滅為楽と響くなり。

 

 

いよいよ、令和三年の幕開けです。

 

新年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。

 

では、謹んで新年のご縁を石切相聞茶堂にて、お待ちしております。 

 

 

松岡弘子

 

 

 

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◇ 開催日時:1月21日・2月18日・3月18日 10〜17時半

◇ 茶堂場所:1月は東大阪市にあります『石切 橋本亭』

◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠

◇ 内容:未二観・影舞・円坐・きくみるはなす縁坐舞台

◇ 会費:一万円

◇ 募集:数名

◇ 申込: <mailto:soumon.enza @ gmail.com> soumon.enza @ gmail.com 松岡

 

◇ ご挨拶:

 

相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。

 

令和三年一月は『石切 橋本亭』にて開催いたします。

「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。

「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。

歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。

人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。

わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。

そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。

同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。
では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

松岡弘子

 

 



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