[SIJ: 21622] 円坐舞台と有無の一坐 ホームページのご案内

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2021年 8月 27日 (金) 00:34:46 JST


皆様へ。



円坐舞台のご案内について一覧できる場所がなく、皆様にフェイスブックをさかのぼ
る手間を

おかけしていましたが、このたび橋本仁美が手習いのホームページを作ってくれまし
た。

ご案内文のできたものから載せていきますのでよろしければご利用くださいませ。



▼「有無の一坐」トップページ

https://umunoichiza.link/





先週は岐阜・美濃の国中野方での円坐守人稲妻稽古に参じておりました。

滞在した三日間を通して、豪雨と思えば晴れ間、霧に包まれたと思えばまた雨と、

荒天の中、目まぐるしく風景が変転する中野方の谷を見下ろしながらの稽古となりま
した。



文字通り轟く稲妻に照らされる守人稽古の場で 「円坐舞台〜美濃の国・中野方守人
風流」

の幟が立ち上がったのは、我々にとって記念すべき出来事でした。



対談円坐では、円坐舞台中野方風流(スタイル)の源流となる円坐守人のお二人、

ときのうたご主人の長江賢太郎氏と瑞浪市の陶芸家、伊東智康氏が向き合いました。



伊東氏が語ります。

「職工たちが生活のため、おのれが生きるために、ただ作り続けた民芸というものが
ある。

何にも特別じゃない。普通に生活を営む人々がいる。

使い慣れた茶碗をゴツンとぶつけて傷つけたくないな、となんとなく思いながら丁寧
に使う。

彼らの手に馴染んだごはん茶碗がちょっと光ってる。



僕は民芸系統の人間です。

人々がていねいに日々を暮してゆくその暮らしぶりに役立つものを作れたらいいなと
思う。

円坐にはその美しさがある。草の根の・・。



円坐は特別な空間。

円坐は日常生活と同じレベルにあり、そのシンプルさ、その原始的な構造に惹かれ
る。

剥ぎ取って剥ぎ取って残るものこそ本当のこと。

円坐はいらないものを剥ぎ取った姿である。

現代は複雑極まりなくなっているのでかえって円坐が異質に見える。



裸同士でぶつかるのだったら思惑はいらない。

円坐に利己的なことを持ち込んでも歯が立たない」。



(引き続いての円坐で)

「ありがたいな。

円坐の中ではうそ偽りや作り事は通用しない。

ここには厳しさがある。だからそのままでいられる。

それがありがたいな」。

 



中野方稲妻稽古主催の「暮らしの宿 ときのうた」ご主人、長江賢太郎氏から

お言葉を頂戴しております。



「いつもに増して手ごたえのある濃密な時間でした。

個が際立ち、その存在感がはっきりとすることと、

全体が一つに成っていくような動きは両立する・・・

というよりイコールで結ばれるんだということを感じました。



そして何より、円坐の面白さを改めて実感できたことが、

僕にとってはとても嬉しいことでした。

“中野方円坐”、必ずや始めたいと思います」。





謹んで以下の方々が守人を務める「円坐」もしくは「間の会」をお勧めいたします。



<一>

「円坐舞台中野方風流」

長江賢太郎氏(岐阜県恵那市中野方)

伊東智康氏(岐阜県瑞浪市)



<二>

「裏日光円坐道場」

桜井あつ子氏(栃木県日光市)



<三>

「間の会」

西脇秀典氏(三重県津市)







    口承即興〜円坐影舞 有無の一坐  橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)



















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