[SIJ: 22450] 有無ノ一坐 9月の舞台活動のご案内

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2022年 9月 13日 (火) 11:22:07 JST


皆様へ。

 

9月に入って高野山大学別科スピリチュアルケアコースの集中講義が始まりました。

僕の担当は「コミュニケーション訓練」です。

僕は毎年「ミニ(未二)カウンセリング」の稽古を6日間に渡って行っています。

 

高野山大学別科スピリチュアルケアコースは、

人生の後半に入って意を決して入学して来られる社会人学生が大半を占めています。

 

すでに大学の仕事を辞し、野に下って久しい僕を敢えて高野山大学に招聘してくださったのは、

現在はマインドフルネス・カレッジ学長である長年の盟友井上ウィマラでした。

 

「スピリチュアルケアのコミュニケーション訓練は、

亡くなって往く人々の傍らに坐ることを任務とするターミナルケアの現場で、

本当に通用する傾聴の実力を醸成する必要がある。

ついては学生たちにくにちゃん(橋本)がやっているミニカウンセリングを教えてほしい」

 

との直言の要請でした。

 

意気に感じるものがあって現在に至るまで懸命に学生に対峙し、仕合っています。

たとえ少しでもウィマラの思いに応えることが出来ればと願います。

 

 

ところで「橋本がやっているミニカウンセリング」とはいったい何でしょうか?

 

僕は学生の頃に当時東京農業大学教授だった岸田博先生と

ロジャーズ派のカウンセラーだった中村喜久子先生に出会い、

お二人が協力して開発された「15分間のミニカウンセリング」を学びました。

 

我々の人生に決定的な影響を与える「人間関係という謎」を探求していた若い頃の僕は

「聞く」ということに鍵があることをすでに直観していましたので、

お二人の聞く姿勢とお人柄に深く共鳴し、経験と年数を重ねました。

この時すでにその後の自分の人生の方向が定まっていたように思います。

 

恩師であるお二人は今はもうこの世におられませんが、そのお声、笑顔、ご一緒した空間の気配は

いつもすぐそばにあります。

 

お二人が「15分間のミニカウンセリング」を開発した目的は、

 

「聞き手の態度や姿勢そのものを本質とするロジャーズ派のカウンセラーは

傾聴の実力を客観的に評価することが難しい。

 

傾聴の実力を正当に判断し、その姿勢と態度を正しく身につけるために15分間だけ

真剣な本番のカウンセリングを行って録音し、それを一言一句書き写して逐語記録にする。

 

ミニカウンセリングの熟練者がその15分間の記録を改めてレビューし、

現在の心理学の成果に基づいて、人間の内界を

 

「思考・感情・感覚・人生(存在)」

 

の4つの層として見分け、

15分間のカウンセリングのプロセスを有機的に再体験し、

ロジャーズ派カウンセラーとしての視力、実力の養成に役立てる」

 

ということでした。

 

岸田先生は15分間という短い時間のカウンセリングなので当時はやっていた「ミニスカート」の

「ミニ」をもらったんだと笑っておられました。

 

ミニカウンセリングは、カウンセラーのトレーニングが所期の目的でしたが、

やがて15分間であっても定期的に継続すると1時間のカウンセリングと同じように

人格の変容や人生の変化が起こることが分かってきました。

 

カウンセリングの成果は時間の長さではなく、聞き手の姿勢が創りだす時間の質で決まるということです。

 

僕はそれから40年間、ミニカウンセリングを自分の生涯の仕事として実践し続けてきました。

僕の人生の道となった「聞くこと=傾聴」は、

「15分間のミニカウンセリングから始まった」と言えます。

 

僕が人生を通じてやり続けた「聞くこと」の訓練、稽古はこれ一つだけです。

 

40年間にわたって15分間の逐語記録を読み、レビューし続けて明らかになったことは、

語り手が「思考・感情・感覚・人生(存在)」を言葉にする時、

15分間の中にさらに自分独自の「時間と場所」を立ち上げているということです。

 

我々は言葉によって自分自身を語る時に、まるで映画や演劇、あるいは文学や小説のように、

まず時間と場所を精密に指定してから、その時空間の中に自分の「思考・感情・感覚・人生(存在)」

を表現しています。

 

こうして心理治療としてのカウンセリングだったミニカウンセリングは

映画や舞台劇に比較できる芸術的な内容と構造を持つようになりました。

 

ミニカウンセリングの研修に参加された大学の先生が

映画の製作や映画そのものの内容と、ミニカウンセリングの構造や内容が似ていることに着目し、

大学院の映像学科の研究生達を対象にしたミニカウンセリング研修を依頼してくださって、

二人で行う15分間のミニカウンセリングの様子を機材で撮影したこともありました。

 

ミニカウンセリングの15分間の逐語記録をレビューすると、話し手が無意識に、

気の向くままに語った15分間が、まるで連続ドラマや映画を観るような

とても面白くて人生の智慧に満ちた、味わい深いものに生まれ変わってしまうからです。

 

15分間のミニカウンセリングをひとつの「精神的な舞台芸術」として理解できるようになったことは、

カウンセラーとしての僕にとっての決定的なパラダイムシフトであり、

「自分が聞く」という固い思い込みが壊れて目が覚めた画期的な出来事でした。

 

それ以降、僕にとってミニカウンセリングの15分間は「思考・感情・感覚・人生(存在)」と

語り手を4つの層に分けて解析する個人心理学の範疇では収まらなくなりました。

 

「これからの15分間は○○さんの時間です。聞き手である私は○○さんの言葉の

『てにをは』に至る最後のひと言まで聞き、辿らせて頂きます」

 

と聞き手が宣言したその瞬間から始まる

 

「15分間の舞台劇」

「15分間の交響曲」

 

になったのです。

 

聞き手の真摯な「聞く姿勢」は、無数の個性的なドラマとしての時間と空間が創られ、展開する

「純粋な精神でできた目に見えない舞台空間」そのものであることを認識できるようになりました。

 

個人心理学を基礎とするミニカウンセリングでは、話し手の言葉のうち、

感情や感覚を示す言葉を重視し選択して共感的に応答します。

 

舞台としてのミニカウンセリングでは、最初の一言から最後の一言まですべての言葉が

舞台上の台詞と同じように欠かせない重要さと意味を持ちます。

どんな些細な動きも、言いよどみや言い間違いまで、すべて舞台上で起こったこととして

15分間の作品全体に響き渡るかけがえのない意味を担っています。

 

外から聞こえてくる様々な音や通行人の話し声などがすべて15分間のミニカウンセリングの舞台に

真実のリアリティと深い意味を与えています。

それは聞き手やカウンセラーが人為的にしていることではなく、

「全体」からの完璧な、いわば演出効果であることが見えてきます。

 

「シンクロニシティ」はたまに起こる偶然の現象ではなく、15分間の「ミニカウンセリング舞台」の間中

一瞬も途切れず全面的に起こり続けていることが逐語記録のレビューによって見えてきます。

 

こうして外の世界に環境としてあるものと、話し手の内なる世界の精神や言葉が有機的にシンクロし、

密接につながっていることに気づき始めると、15分間のミニカウンセリングの中に

話し手個人の思考、感情、感覚、人生(存在)だけを見ることはもはやできなくなります。

 

そして外側の世界や他者、過去や未来、生者や死者など、今まで二つに分かれていたものが、

二つに分かれる前の「ひとつ」として視界に入ってきます。

それは我々全員を含むただひとつの精神的な有機体、生命体であると言ってもよいと思います。

 

こうして「15分間のミニカウンセリング」という精神的な舞台の上に

 

「すべての部分が最初から全体によって結ばれている無限の15分間」

 

があらわれて来ます。

 

ここに初めて成立した

 

「無限の15分間のミニカウンセリング」

 

は「未来がすでに過去に実現してしまっている」とか

「過去が未来に待ちうけている」と言うしかないような

「ひとつの全体」を基準にしたときに生じる矛盾した論理構造を備えています。

個々の部分である我々が「ひとつの全体」になって表現する時には必然的に矛盾する表現になるからです。

 

この「ひとつの全体」という特徴をミニカウンセリングの「ミニ」に重ねて「未二」とし、

 

「未だ二つに分かれていないものを観る」

「我々がその一部分であるひとつの全体になる」

 

という意味を持たせて「未二観」と呼びます。

 

そして「ひとつの全体」に対峙して聞き手と話し手が「仕合う」傾聴の行為を

「未二カウンセリング」と表記します。

 

こうして「すべての時間」そのものである「ひとつの全体」が

「15分間の未二カウンセリング」になってあらわれているという新しい法則を

経験的に確認することができました。

 

ひとつの全体の立場になって初めてミニカウンセリングの時間の変更が可能になります。

「ひとつの全体」は「すべての時間」であり、時間にとらわれない全体性ですので

 

ひとつの全体が行う「8分間の未二カウンセリング」が成り立ちます。

ひとつの全体が行う「4分間の未二カウンセリング」も成り立ちます。

 

ひとつの全体による「1分間」も成り立ち、瞬間や刹那も「ひとつの全体」として成り立ちます。

「形も無く時間も無い未二カウンセリング」も時間を超えてすでに成り立っています。

 

「ひとつの全体」は時間の長短や物事の有無に関わらず世界のどこにいてもすでに成り立っており、

小さくて部分的で具体的な「我々の人生」という日々の出来事もひとつの全体として成り立っています。

芸術、芸能とは「全体」が我々の世界に出現する無限の形式のことであると思います。

 

 

これが高野山大学別科スピリチュアルケアコースの「コミュニケーション訓練」のクラスで

社会人学生の皆さんと対峙して仕合い、稽古している「傾聴」の理念です。

 

そしてこれが有無ノ一坐が因縁の仲間達とともに日々切磋琢磨している「聞く態度」であり、

円坐舞台守人が目指す「坐る姿勢」です。

 

有無の一坐とは有るものと無きものがひとつの全体となって坐る舞台のことです。

ひとつの全体となって坐る「舞台」とは、

15分間の未二カウンセリングや3時間の円坐という「ひとつの全体」に

小さな我が身の全身と全霊で対峙する聞き手(辿り手)すなわち守人の「丸ごとの存在」のことです。

 

守人の「生きる姿勢」が一人の守人の人間的な個性という舞台の上で舞い踊っています。

ゆえに「きみは舞台」。

「きくみるはなす縁坐舞台」です。

 

20代の頃、岸田先生に尋ねました。

「僕もミニカウンセリングを仕事としてやってもいいですか?

でも先生の様にできる自信はありません」

 

先生は微笑んで若い僕を見つめました。

今も耳元に先生の声が響きます。

コーラスで鍛えたバリトンの、温かくて深い声で

 

「はしもとくにひこのミニカウンセリングをやればいいんだ」

 

結婚の報告をしたときの中村喜久子先生の明るい声もよみがえります。

 

「結婚生活にミニカウンセリングはとてもいいですよ!」

 

お二人に教わった15分間のミニカウンセリングは、

無限無量の15分間の未二カウンセリングになりました。

また先生方にお会いした時にご詳しく報告させて頂きます。

先生、これからも末永くご指導の程よろしくお願い申し上げます。

 

 

親しい仲間からリクエストも頂きましたので

秋には大阪千代崎で未二カウンセリングのクラスを再開したいと思います。

 

 

有無ノ一坐 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)

 

 

<<口承即興円坐影舞有無ノ一坐 9月の活動予定>>

 

①9月3日4日(土日)「円坐舞台守人十六番稽古」十一番十二番稽古(終了)

 

②9月6日(火)第5回影舞山月記(鬼)17時より喫茶リエ開店(終了)

 

③9月7日(水)広島ふるさと円坐(終了)

 

④9月9日(金)第1回姉弟円坐(終了)

 

④9月9日~11日(金土日)高野山大学スピリチュアルケアコース集中講義「未二カウンセリング」(終了)

 

⑤9月16日(金)第2回姉弟円坐

 

⑥9月18日19日(日月祝)関ヶ原古戦場円坐

 

⑦9月20日~22日(火~木)高野山大学スピリチュアルケアコース集中講義「未二カウンセリング」

 

⑧9月22日(木)ふるさと相聞茶堂(高槻市)

 

⑨9月23日(金祝) きくみるはなす徳島眉山縁坐舞台「モラエスを訪ねて」

 

⑩9月24日25日(土日)「見える・舞う・坐す」於恵那中野方(岐阜県)

             【申込・問合】事務局吉橋まで。gclasba @ gmail.com 

 

⑪9月25日(日)ひとくぅ虎馬 〜人喰ぅトラウマ?!〜 円坐

 

⑫9月27日(火)第6回影舞山月記(鬼)17時より喫茶リエ開店

 

⑬9月28日 高槻ピッコロ保育園きくみるはなす縁坐舞台

 

⑭「ザ・セッション」有無ノ一坐舞監・喫茶リエマスター橋本悠の個人セッション(日程適宜)

   https://umunoichiza.link/1115/

 

*⑩番以外のお申込み・お問合せは橋本まで。

*有無ノ一坐ウェブサイトやFBページもご覧くださいませ。

 

https://www.facebook.com/yukyuhitohiro (フェイスブックページ)

https://umunoichiza.link/ (ウェブサイト)

 



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