[SIJ: 22556] 秋の生駒・イシキリ円坐 ご案内

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2022年 10月 25日 (火) 16:31:10 JST


皆様へ。



表記円坐をご案内いたします。



有無ノ一坐舞監の橋本悠は僕の息子でもありますので、

生活の中で折にふれて語らいます。

仕事で夜遅かった我々夫婦より僕の母によく懐いた「おばあちゃん子」でした。

彼は5年前に突然東京での舞台役者の生活を切り上げて帰ってきました。



僕の母、そして橋本悠にとっての「ばあちゃん」は、

悠が家財道具とともに東京から帰ったその日の夜、

可愛い孫の澄んだ眼差しに看取られて永遠に旅立ったのでした。



彼は家族との日常の会話の中で聞き捨てのならない言葉を発します。



先日、僕が自宅の喫茶リエの椅子に座って書き物をしていたとき、

厨房でトーストを食べている悠とカウンター越しに言葉を交わしました。



全身麻酔を要する手術を経験したことについての話でした。

彼の言葉のいくつかを記します。



「全身麻酔を一度経験したかったから面白かったわ」

「麻酔で無意識の間でも日常とは違う別の時間の感覚がある」

「『無』っていう何かが経過した感覚がある」

「無意識だったって言うのは観測できないから『無』と言ってるだけ」

「『スターウォーズ』とかでワープする間の感じに似てる」



「意識が無くなったっていう言い方は変。見えないどこかに行ってるだけ」

「それは物心つく前の感覚とほぼ同じで『差異がない』状態」

「差異がないのはいい状態で幸せだった」



「麻酔から覚めた時この世はしんどいことばかりだと分かった」

「世の中のすべては苦しみ」

「この世が愛しいのは僕らが寂しいから」



「この世の苦しみに縛られて存在するのではなく、苦しみを肯定して好きに生きると
いうこと」

「不自由な世界で自由に生きるということ」

「幸福があるのは苦しみがあるから」



「死んでいくのが無意識になることならそれは引っ越しと同じ感覚だと分かった」

「引っ越すまでにやっときたいことっていう風に考えるようになった」

「死ぬまでにやりたいこと、という言い方は力んで窮屈」



「差異が無くなるのは幸せなこと」

「外側の世界を獲れば自分で管理しなきゃならない。それは差異の地獄」

「自分で好んでそうしているのがさらに地獄」



「差異のない状態ではすべてが中心点になる」

「個人でいると動かなければ自由じゃないが、すべてが自分の中心点なので動かなく
ていい」

「個人には必要に応じてなるがその時に差異の苦しみもやって来る」

「物理的なものに手を広げれば広げるほど差異が生まれそれが苦しみになる」

「もし意識が電気信号なら僕は電気になれると思う。そこに戻るだけ」



「相手の言ってる言葉の景色を広げること。それが僕の言う想像力」

「僕の言ってる共感的応答って想像力のこと」

「自分自身を勝ち取ること。人に持ってきてもらった水を飲むのではなく、

自分で探して汲んだ水を飲むこと」

「円坐で話してることが伝わらず、何言ってるのか本当には分かってないのは

想像力がなく生きたイメージができないから」



悠と同じ空間にいてそのことばの響きに身をさらすと、

僕の中の「精神の潮の流れ」が刺激され人生のより深い体験と認識への衝動が湧き起
ります。



有無ノ一坐舞監、橋本悠の主な活動は、

「ザ・セッション」「姉弟円坐」「関ヶ原古戦場円坐」「石切円坐守人稽古」などで
す。



口承即興円坐影舞 有無ノ一坐 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)



<<秋の生駒・イシキリ円坐>>



日時 11月5日土曜日14時〜17時30分

場所 生駒石切相聞亭 (近鉄石切駅徒歩4分 東大阪市上石切町1丁目)

参会費 6千円

お申込み 橋本久仁彦enzabutai@bca.bai.ne.jpまで。

円坐守人 橋本久仁彦、橋本悠













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