[SIJ: 22117]  ト 円坐舞台~他者とシュタイナーと円坐舞台 ご案内

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2022年 4月 22日 (金) 12:59:02 JST


皆様へ。

 

恒例となりました有無ノ一坐の「ト円坐舞台」をご案内いたします。

喫茶リエも開店いたします。よろしければどうぞお立ち寄りくださいませ。

 

            有無ノ一坐 坐長 はしもとくにひこ(Sw.Deva Premi)

 

 

 

「ト円坐舞台」

~他者とシュタイナーと円坐舞台

 

有無ノ一坐の橋本仁美です。

私にとってシュタイナーの本を読む時間は筋トレです。

めちゃくちゃ難しいけど超かっこいいドラムの演奏を楽譜に起こして、

自分が演奏できるように一生懸命練習する作業ともよく似ています。

 

楽譜に示されるリズムは、思考でもあり、

演奏し続けるとその曲を作った人の思考が入ってきます。

 

いまはシュタイナーの「自己認識への道」という著書を読んでいますが、

何度も何度も何度も読み返して、やっとのことで、

思考の流れ(=リズムの構造)が、私の中に入ってきます。

 

シュタイナーの面白いところは

一旦理解できると、もう私が以前の私ではなくなるところです。

成長するとかではなく、思考の構造そのものがかわるのを感じます。

 

そうすると、はからずも円坐の理解が深まってゆきます。

それは、シュタイナーが特定の思想ではなく

思考の営みそのものに言及していくからでしょう。

 

思考(精神)の営みそのもの、

それこそが、わたしたちの見えないからだです。

 

シュタイナーが探求する観点は、

見えないからだのうごめきを指して

幻術だとか、鬼が出歩くなどという表現に至る

円坐でのすわり心地と似ています。

 

円坐はなにもないからこそ何もかもが起こる無秩序の空間です。

そこには人々の思考の縦横無尽な営みがあり、

それらがただただ顕在化していきます。

 

私が身近で触れる機会の多いNVCやコーチングをはじめとする

様々なセラピーや瞑想手法は特定の場面において有効に見えますが、

基盤となる思考の枠組みが固定されているがゆえに

ある場面には有効でも、別の場面では効果をなさないように見えます。

固定化によって融通が利かなくなって他者と折り合いがつかなくなり苦しむ人の姿もみかけます。

 

また、私が見知っているすべてのアプローチは、

怒りを様々な方法で管理・コントロールする方向へ向かいます。

 

しかし、私にとって怒りとは、

明晰な思考の営みであり

真剣さです

前進する力であり、命そのものです

 

日本人は怒りという真剣さを奪われ

他者を舐めるようになりました。

他者に向かってちゃんと怒ることができなくなった日本人は

真剣に生き、死ぬことができなくなりました。

 

死ぬよりも生きることのほうをより善とし、

自分の心地よさを大事にした人生を生き、

ありのままや穏やかな心で居続けようとすることが

本当に悔いのない生なのでしょうか。

 

わたしは、

真剣を交わし互いを刻み合うことが

死後までも悔いのない生と考えます。

 

みなさまと

そんな時間を過ごすはじまりになることを楽しみに

お待ちしております。

 

有無ノ一坐 橋本仁美

・・・

 

今年、新たに始まった「 ト 円坐舞台」

第三回目の円坐舞台を開催いたします。

 

今回は、

他者とシュタイナーと円坐舞台 という題で、

「 ト 円坐」に坐ってみたいとおもいます。

 

無題の円坐の探求は、

非常に面白い世界なのですが、

この「 ト 円坐舞台」は、

わたし達が微細に感じる何かだったり、

他者との関係で起きてくる事だったり、

そのような事が、

円坐に坐ると、

舞台に立ちあがってきて、

この世での自分と他者との関係や、

己の姿や自分の輪郭が露わになり、

時に前進していく力にもなります。

 

この世で起きているありとあらゆる事は、

人と人の関係性と密接に関わっています。

 

人との関わりを通じて、

この世界への関わり方が見えてくると、

生者を通じて死者に、

死者を通じて生者に、

その他者への関わりを通じて、

この世界への関わり方が、

豊かに深くなってゆくのではないかと。

 

そんな微細な感覚を頼りに、

己と他者という関係世界に、

さらに切り込んでいきたいと思います。

 

梅田中之島円坐旅でお会いした、

芳野学氏からいただいた冊子の、

一文に以下の言葉がありました。

 

サウダーデの世界はどこに位置するかと言うその問いに対して、

「もはや私が属していない現世と、

急速に私が近づいている死の世界との

中間にある正当な世界である」

と、ありました。

 

サウダーデとは、ポルトガル語で、

懐かしい、寂しい、切ない、苦しい、

うれしい、楽しい、といった、

望郷の魂を揺らす、微細な言葉です。

 

日本人も、もともとは、

日々、死者をお迎えし送りながら、

死者と生者の境界、望郷の地にて、

他者とともにつながっていました。

 

いまや、

物質主義や知的な思考にかたより、

他者といるより自分の欲望を満たす事を、

最優先するようになってしまったせいで、

望郷の地や彼岸から、

随分と離れてしまい、

宗教と学門と芸術が一体となった世界を、

探求する感覚すら失ってしまいましたが、

 

円坐という、人と人の間に坐り、

更には、人の中に坐っていくと、

思考を停止せずに目覚めたまま、

直感的で微細な感覚を研ぎ澄まし、

世界の源へ向かって動き出します。

 

先に世界の源を手に入れようとしたり、

人間関係を我慢し理解しようとしても、

他者を生きなければ、

自分も生きれません。

 

この世界とは、

生者と死者でできた不思議な世界です。

自分とはこの世界との関わりの事です。

 

それでは、

「 ト 円坐舞台」

他者とシュタイナーと円坐舞台

 

人の魂とも呼ばれている蛍の灯火に、

照らされながら、仕合い切磋琢磨し、

この世界を見つめてまいりましょう。

 

世界にまなざされながら、

お待ちしております。

 

有無ノ一坐 松岡弘子

 

 

<< ト 円坐舞台 開催要項 >>

 

① 1月16日 終了「人間と人と円坐舞台」

② 2月13日 終了「仏教と円坐舞台」

③ 4月24日 開催「他者とシュタイナーと円坐舞台」

 

・時間:10時〜17時

・場所:影舞山月記(鬼)稽古場 大阪市西区千代崎 2-20-8

・会費:各回 八千円

・守人:有無ノ一坐

・申込:enzabutai @ bca.bai.ne.jp 橋本久仁彦 

 



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