[SIJ: 21726] 長崎から東京円坐一番札へ~ご案内

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2021年 10月 12日 (火) 13:21:38 JST


皆様へ。

 

一昨日の日曜日は長崎市出雲町の真言宗弘仁寺にて円坐影舞の舞台を奉納させて頂きました。

 

舞台に先だってご住職の森田 眞源師と対談をさせていただいた折に、弘仁寺は創立120年にあたり、

その記念の儀をどうするかと思っていたが、このたびの「きくみるはなす長崎弘仁寺縁坐舞台」こそが

弘仁寺120年の記念の儀であったのだと深くうなづくことができました、と承りました。


お陰様で有無の一坐にとっては身に余る光栄な縁坐舞台となりました。

 

御住職からは「空」と「苦」の文字が同音であることから、

空は苦なり苦はそのまま空なり、とのお示しを頂きました。

僕も円坐や未二観で日々見せられている世界を言葉にさせて頂き、

呼応する言葉が楽しく味わい深く、

参集された方々とともに親しく幸せな時間を過ごさせて頂きました。


御住職と奥様の「ぜひ、ぜひ」と何度も重ねてくださるお言葉を賜わり、

我ら有無の一坐は今後余生続く限り、きくみるはなす長崎弘仁寺縁坐舞台を務めて参りたいと思います。


引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

長崎弘仁寺との御縁は先のご案内でご紹介した片山健太さんの存在なくしてはありえません。

片山さんの主宰する「てつなぐ」での円坐に森田師が参加してくださったのが

生涯に渡るご縁の出遇いとなったのでした。


今回の長崎では片山健太さんのお母様とお父様のご自宅にもお邪魔させていただきました。

お母様はご闘病中のためしばらくお目にかかる機会がなかったのですが、

この度お目にかかれてとてもうれしいことでした。

お母様から、どたどしい息遣いながらも親しくお声掛け頂き、

思案橋でスナック梓を切り盛りしながら息子と娘を育てられた「梓のママ」の、

凛とした優しいたたずまいがよみがえりました。


お母様のどのお言葉にも、息子を案じ息子夫婦を想うお気持ちがあふれ、

僕もわが母の姿を重ねておそばに控えさせて頂く貴重な忘れがたい時間となりました。


片山さんと小さい頃のアルバムなど拝見していましたら、スナックの常連だったお客様が訪ねて来られました。

これからお父様と一献酌み交わしながらお母様との時間を過ごされるとのことでした。


血の繋がらぬ他人であってもスナック梓で出遇ったご縁を大事にされてこうして会いにこられるそのお客様と、

お客様をご自宅に迎えるお父様お母様のお姿をまぶしく仰ぎながら、

深々とお辞儀をさせていただいて長崎の町並みの特徴である山の「斜面地」のご自宅を出ると、

山あいに長崎港の海が、薄暮の落ち着いた青い姿で目に入りました。

 

そう言えばこのご自宅に到着した夕方、

長崎の教会の鐘の音が市街地を包んで響き渡っているのを聞き、

同行した娘と長崎の風情に感心したものでした。


長崎とは長いご縁になって参りました。深謝いたします。





 口承即興~縁坐影舞有無の一坐 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)





 

今週金曜日から「東京円坐一番札」のため、東京阿佐ヶ谷と奥多摩に参ります。

来週22日金曜日からは恵那市中野方集落での円坐守人稲妻稽古。

27日木曜日は生駒石切にて神無月相聞茶堂です。また折にふれてご案内させて頂きます。





▼「有無の一坐」セイムページ

https://umunoichiza.link/





 

橋本久仁彦 3 days / 東京円坐一番札

 

十月に大阪千代崎より橋本久仁彦さんをお迎えし、

東京で三日感を過ごします。

 

一日目は円坐一番札の住処(すみか)、阿佐ヶ谷にて。

 

二日目三日目は、日常を離れ、

ここ東京?的な清流が目の前に広がる奥多摩の地にて、

たっぷりと一泊二日を過ごします。


二月より始まった円坐一番札、秋の大一番です。

 

それなりにたのしく、それなりに人付き合いをして、

それなりにきれいに終えていく人生。





それで別に困っていなかったはずなのに・・・・





橋本さんが居られる空間では、

何気ない言葉の一つ一つまでもが、

そのままくっきりと立ち上がり始め、

それは時に、語り手の生き様を観るような

生々しさがあります。





令和三年秋、東京。





橋本さんとのこの一度きりの三日間。





幸か不幸かご一緒できれば。





どうぞよろしくお願いいたします。









・○・◎・○・◎・○・◎・○・◎・





 橋本久仁彦 3 days / 東京円坐一番札





▼ Day 1 @ 阿佐ヶ谷





【日時】10/15(金)12時半〜17時半

【会場】東京阿佐ヶ谷の和室

【参加費】14,000円

 ※9/15までの早割:12,000円(2,000円引き)

 ※奥多摩参加割:12,000円(2,000円引き)

 ※奥多摩参加+早割:10,000円(4,000円引き)

 ※飲み物とお茶菓子をご用意いたします。

【定員】9名

 

▼ Day 2-3 @ 奥多摩





【日時】10/16(土)10時半〜17(日)14時

【会場】中央線 奥多摩駅近くの宿

【参加費】45,000円 ※宿泊費・食費含む(一泊二食)

 ※9/15までの早割:39,000円(6,000円引き)

【定員】7名





▼ Day 1-3 共通

 

【守人】橋本 久仁彦 / 青柳 彰一 / プリヤ

【主催】青柳 彰一 / プリヤ


【プログラム(仮)】

現地集合・現地解散。

橋本さんの生涯の仕事である円坐や影舞を中心に、

自然の中で過ごす時間も挟めたらと思います。





【お申し込み】

こちらのGoogleフォームよりお申し込みください。

折り返しご連絡いたします。

https://bit.ly/enza1fuda211015entry





【キャンセルについて】

お申し込み後にご事情によりキャンセルされる時は、

以下のキャンセル料が生じますこと、ご了承ください。

 開催2週間前(14日前)以降のキャンセル: 参加費の50%

 開催1週間前(7日前)以降のキャンセル: 参加費の100%





ご不明な点など、主催の青柳またはプリヤまでお問い合わせください。

 

・○・◎・○・◎・○・◎・○・◎・


 守人 青柳彰一より みなさまへ

 

橋本さんのクラスに通い始めた平成29年の夏に、父が他界しました。

父が生きていた時は、自分との違いばかりが目に入って、生き方が違う、生きる世界が違うくらいに見えていて、距離をあけていました。

男どうし、父と息子とはそんなものだとも思っていました。





なのにどういうわけか、他界して4年経った今のほうが、父を近くに感じています。

母と言い合いをしている時だったり、成人式を迎えた息子と娘がその報告をくれた時だったり、

下の息子をザリガニ釣りに連れて行っている時だったり。生きていた時以上に、そこに一緒に居る感じがあって、表情やしぐさまで見えるようです。





橋本さんという存在を知り、その空間領域で過ごす時間がなかったら、こうはなっていなかったのではないかと思います。





「かかわり方のまなび方」という本で橋本さんを知ったくらいなので、方法方法と探していたし、頭が勝つというか頭でっかちというか、

相手や物事を分析して理解して、整理したり解決したりするような動きが当たり前になっていて、意味や目的のようなものをよく考えていたように思います。





橋本さんが展開する円坐も影舞も未二観も、方法論的なものはほとんどないように見えます。

では効率が幅を利かせる世の中にあって、いったいそれがなんの役に立つのか。

少なくともその、役に立つのかと問うてしまう窮屈さからは、一歩出られる気がします。





プリヤが橋本さんから「生命」を教わっているように、ぼくは「存在」を教わっているように思えています。

わたしという存在、あなたという存在、あなたとわたしという存在、時空間。





今回大阪から橋本さんに来て頂けることになり、この孤立して自己完結して表情が消えていくような今の東京において、

橋本さんという存在空間が展開されたらどうなるのか。

その中で、このタイミングでビビッと来たみなさまと、たっぷりと過ごせたらと思います。

生命としてのそれぞれの働きが、見えるかもしれません。





初めての方もぜひおいでください。いろいろ書きましたが、橋本さんは、大阪のおもろいおっちゃんです(笑)





それではどうぞ、よろしくお願いいたします^^





青柳 彰一









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 守人 プリヤより みなさまへ





この度、10月東京にて、守人として 橋本久仁彦さん(クニちゃん)をお迎えしての三日間の円坐影舞を、

青柳彰一さんこと たかったー とともに、主催・守人を務めさせて頂きます クリシュナプリヤと申します。





今年2月から毎月、たかったーと開催している円坐 一番札。

10月は、15.16.17金土日の三日間を、クニちゃんとともに過ごします。

10/15金は、都内での円坐。

16.17土日は、一泊二日の奥多摩。

この美しい多摩川のほとりでの円坐影舞になります。

(詳しくは概要の部分をご覧下さい。) 





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クニちゃんに初めてお会いしたのは、六年前の三月のことです。

高知の桂浜で池澤良子さんが主催して下さった三泊四日の「うみの円坐」。





僕は、そこで、クニちゃんや仁美ちゃん、たかったーとも、そこで初めて出会いました。





三泊四日の円坐で、円坐や、ごはんや… たくさんの 時間をご一緒させて頂く間に、

僕は、クニちゃんというひとや… その笑顔にも、すっかり魅せられてしまい、





四日間が終わり、帰りの送迎バスに乗り込んだ みんなを見送っているとき、

僕は、思わず自分の身体が鞠(まり)のように跳ねて、クニちゃんがいるそのバスの窓の下へと駆けっていって、

両手を上げてぴょんぴょん跳んで、「クニちゃん♡、クニちゃん♡」と、窓から見えるクニちゃんに向かい、

何度も下から飛び跳ねずには いられなかった・・・ことを、思い出します。





クニちゃんは、そんな僕や、見送る良子ちゃんたちのことを、

バスが出るまで、その席でもまたニコニコと、見ていて下さいました。









お顔を見ていられるだけで、嬉しい。





クニちゃんに最初にお会いした

あのときから、ずっと。

僕の中には、そういう感覚が、あります。





クニちゃんがいると、僕は、

嬉しくて、じっとしていられない。

身体が、

どうしても、喜びで溢れる。









決してなくなることのない、死んでも消えない生命(いのち)の純粋な流れ。





クニちゃんは、僕にとっては、

この、

生命(いのち)の流れと、

全く同じ質感がして…





クニちゃんに会うと、

どうしても、僕の、

身体じゅうの細胞が、光って喜ぶ。





そんな感覚が

あります。









「生命(いのち)を、教わった。」





と言うと、大袈裟とか、不思議な感覚に思えるかも、しれません。

(生命(いのち)は、教わるものでは ない から。)

ですが、僕にとっては、まさに 「そう」。





これを、僕は、

他の言葉で言い現すことは、できません。









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東京での この三日間は、

とても特別な時間になることと思います。





10/15は、僕ら が普段に活動している場で、クニちゃんと。。。

10/16.17は、まさに、生命(いのち)が喜ぶ、美しい清水の流れる 多摩川のほとりの会場で、クニちゃんと。。。





心踊り… 心震える…

忘れえぬ ひとときを、みなさま!





よろしかったら♡ぜひ

僕らと ご一緒 致しましょう。









クリシュナプリヤ拝

 





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photo by Krishnapriya





<橋本久仁彦さんプロフィール>





1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱したパーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。

その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。

 

平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。

 

平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、

コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、

このたび、10年間の活動を終え、その看板を下ろす。

 

現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす縁坐舞台」を実践する「有無の一坐」坐長。

 

生涯を通じて手掛けてきたミニカウンセリングは、位相を進めて「未二観」となり、円坐は同じく「円空坐」となり、

縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する三つの終の仕事となった。


仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、毎日がこの世の名残りの道行である。

 

高野山大学スピリチュアルケアコース講師。

円坐守人。影舞人。





・○・◎・○・◎・○・◎・○・◎・









ー 円坐(相聞円坐)ー





円坐とは、円坐守人の呼び掛けの言葉に呼応して、定められた場所と刻限に寄り合った坐衆(参加者)が、ただ円に坐り、成り行き(道往き)を共に生きることです。





円坐守人は、円坐の呼び掛け人であり、円坐の坐衆の一人でもあります。





円坐守人の役目は、円坐の場所と刻限の決定(結界)を尊重し、「円坐」という出来事(アラハレ)に目を見張り、

話し手の言葉(事の端)に耳を澄ませ、円坐守人として自らに約束した「聞く」という道を果敢に辿り、

刻限まで円坐(坐衆)と共に生き抜くことです。









ー きくみるはなす縁坐影舞 ー





影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。





特に、詩や歌曲などと共に舞うと、詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、

聞き慣れて当たり前に知っていた曲がこの曲ってこんな歌だったのか、と時には涙になるような感動をもたらすことがあります。





影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いていませんので、歌の心を表現する意図を持つことができません。





にもかかわらず、影舞を見る人は、詩歌そのものの心を普段より深く感じ取ることになります。





影舞とは影間居(影の間に居ること)。

「自分を表現する」から退きあげていく稽古。

静まる(鎮まる)稽古。

「自分」という熱が冷めていく稽古。





舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、ただそこにいる(間居)と元々の詩歌の言葉やニュアンスが自由になって向こうから立ち上がってきます。





 



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