[SIJ: 21412] 喫茶リエお休みと「皐月相聞茶堂」「きくみるはなす縁坐村塾」のご案内

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2021年 5月 10日 (月) 22:11:35 JST


皆様へ。

 

明日火曜日は影舞山月記(鬼)を千代崎稽古場にて、

あさって12日水曜日は以下のように10時から生駒石切にて皐月相聞茶堂を開催いたします。

我々有無の一坐は17時に相聞茶堂終了後直ちに千代崎会場へ移動します。

そのため、いつも17時から開店していました喫茶リエはお休みとなります。

お間違えのないようどうぞよろしくお願いいたします。

 

では悠久の昔から我々が繰り返し味わい続けて飽きず、これから先も未来永劫それを

生き続けて往くことになる全世界共通の平凡な体験『THE人付き合い』ということを、

このたびも確かめ、問い、寿いで参りましょう。

 

いつもありがたく皆様のご縁を頂戴しています。

深謝いたします。

 

         円坐影舞有無の一坐  はしもとくにひこ(Sw.Deva Premi)   

 

 

 

 

 

みなさま

 

こんにちは、

皐月相聞茶堂のご案内です。

(※第三木曜日から5月12日水曜日に変更となっております)

 

先日の4月の卯月相聞茶堂では、

相聞茶堂鼎守人の橋本悠さんが、

全員集合してから朝珈琲をたて、

皆でテーブルに着席して珈琲を喫んで、

それから彼は手作りの弁当をしっかり腕に抱え、

皆で石切から生駒へ辻子谷道を登り始めました。

 

大阪で生まれたからでしょうか。

生駒は、親しみのある山でした。

生まれて初めて山に登ったのも、

小学校の「生駒山遠足」でした。

 

でも、生駒山は不思議な山です。

何度登っても、毎回、新鮮です。

 

悠さんと話しながら生駒山を登り始めると、

胸の中に沈んでいた言葉が、

自然と、出生してきました。

 

と、同時に、

ちいさなお弁当箱をリュックに入れて登った、

楽しい思い出、さびしい思い出、道端の景色、

そんな、自分のいた風景も、思い出しました。

 

今回は、生駒を隔てた向こうの奈良に住む娘も参加し、

皆様と一緒に、生駒山に登りました。

 

この辻子谷登山道を話しながら登る、

仁美さんと春菜のふたりの佇まいは、

若い山と若い山が峙え立つ様でした。

 

対峙とは、

二人が動かずそこにいる事を指しますが、

峙えるとは、まさに山そのもの姿であり、

二山なら対峙、三山なら鼎峙という様に、

ずっとそこに「ある」という有り様の事だと思います。

 

(石切に戻って最後の二人の影舞は、

春色の息吹き返す卯月の絶景でした)

 

途中、立ち寄った古拙の庭での影舞は、

生きている不思議、死んでいく不思議、

静かなる古今の音なき音が、春の空に響き渡る様でした。

 

暫く歩くと大阪市内が見晴らせる場所に出て、

その場所でお弁当をひろげ、おおきな空の下、

皆でお腹いっぱい食べた手作りの味は、

忘れがたき生駒の味わいとなりました。

 

御馳走様とは、

作り手の人の所作を頂く事の御礼の言葉で、

本当に御馳走でした。

 

 

久しぶりに相聞茶堂にお迎えした御客様を乗せ、

円坐の後は、西日に燃える大阪の町に向かって、

オデッセイを走らせました。

 

このたびは。遠路はるばる誠にありがとうございました。

 

 

来月の相聞茶堂は5月12日です。

それでは、ご縁をお待ちしております m(__)m

 

 

松岡弘子

 

 

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 ◇ 開催日時:5月12日(水) 10〜17時

 

 ◇ 茶堂場所:東大阪『石切 橋本亭』

 

 ◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠

 

 ◇ 内容:未二観・影舞・円坐・円坐舞台

 

 ◇ 会費:一万円

 

 ◇ 申込:soumon.enza @ gmail.com 松岡

 

 ◇ ご挨拶:

 

 相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。令和三年一月より『石切 橋本亭』にて開催いたしております。

 

 「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。

 

 「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

 

 その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。

 

 歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。

 

 人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。

 

 わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。

 

 そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。

 

 同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。

 

では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 松岡弘子

 

 

 



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