[SIJ: 21285] 円坐舞台守人に“なる”生駒石切十六番稽古 ご案内

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2021年 3月 5日 (金) 20:56:55 JST


皆様へ。



来月4月3日より8か月間をかけて、「円坐舞台」守人の仕事を解析し、

その在り方や態度を有無の一坐と集中的に組み稽古する16日間、十六番稽古を行い
ます。



先月6日に第一報の狼煙を上げると直ちに関東からご参加の意志表明があり、

この度の円坐舞台守人十六番稽古は成立いたしました。



第二報の今回は、十六番稽古の守人として8か月間お供いたします有無の一坐守人衆
の所信表明を掲げます。

まっすぐ円坐の本質に向かう三者三様の切り口で、円坐舞台守人として唯一無二の
「様」を体現いたします。

橋本美佐子は生駒石切亭守人として16日間の生活面の仕切りを行います。



どの所信表明も眼前に本人が坐っているような活きた空間が立ち上がって来ます。

いずれ劣らぬ当代無比の円坐舞台守人であり、最高の稽古布陣であると自負していま
す。



今年はこの八か月間の生駒石切円坐舞台十六番稽古と、連携して9月に開催される
関ヶ原古戦場円坐が、

有無の一坐という精神的渦巻の中心となります。



では、以下より有無の一坐守人社中の所信宣言をどうぞご高覧くださいませ。



                    

           有無の一坐  橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)





★

みなさま



このたび生駒石切・円坐舞台守人十六番稽古

守人の一人をつとめます橋本仁美です。

どうぞよろしくお願いいたします。



父が円坐の創始者、ということで、

父のようになろうと、父をモデルにしてがんばっていた時がありました。

しかしいくらがんばってもへんな物真似になるばかりで、

まったくもってできるようになりませんでした。

父のように場をつくることも流暢に話すこともできない自分は

円坐には向いてないのだと思いました。



でも今はそう思いません。

現在自分が何度円坐をやっても相変わらず父のような場には全くなりませんが、

むしろそれで良いのだということがわかりました。



私は音楽に支えられて生きてきたところがあります。

それが円坐にも影響していて、

言葉を音楽のように聞いているところがあります。



私は言葉の意味をあまり追いかけず、勢いや強弱、リズムやテンポ感をきいていま
す。

自分が話すときも、内容を伝えるというよりもこの音が相手に響くか、届くか、

を重視しているように思われます。

円坐のなかで誰かが話すのを聞くとき、うたったり楽器を鳴らしているように

聞こえます。会話のやりとりはジャズセッションのようです。



どうしても私はこんな聞き方になるので父の模倣をして辿っても辿れません。

そのかわりに相手の音に応じる音を鳴らすことが、私にとっての辿りになります。



私は、父のような包容力や、言葉の意味や概念を使いこなしてしゃべっていくことが

できないかわりに、父が聞いていない音を聞き、

よくわからないことを言いながら突っ込んでもみくちゃになって

わーっと盛り上がるつながり方をします。

それしかできなくて、それでやっていくしかないし、それが一番面白いのです。



認識の仕方や関わり方が父と私で違うように、

私は一緒に活動する弟や松岡弘子さんともまったく違います。

私は一生、父、弟、松岡弘子さんそれぞれが感じているものと

同じものを共有し理解することはできません。

しかし、理解できないまま一緒に生きていくことはできます。

ただ、そのためにはまったく違う私たちがその都度膝を突き合わせて

話していく場が必ずなければ成り立ちません。それが円坐です。

膝突き合わすたびに相手の生き様に驚くばかりです。



お互いの違いを感じたままでいるのは、

言語的論理的には折り合いがつかぬまま向き合い続けることになるので

必然的に圧力のなかに身をさらすことになります。



それは、舞台に立ち観衆に眼差されている状況と同じです。

人間の根底にふれるには、日常的な言語の壁を越えていく必要があり、

舞台にあがってお互いの認識を分かち合っているときが、相手と一緒にいる瞬間で
す。

それは、生きる理由そのものになる最高の一瞬です。



ご一緒できるご縁を楽しみにしています。







★★

皆様、ご無沙汰しております。橋本悠です。

暖かくなったり寒くなったり花粉が飛んでいたりと、体調管理の難しい時期ですがい
かがお過ごしでしょうか。

次回の石切からは僕たち姉弟も円坐により深く関わりそうなので案内文を書かせても
らっています。



僕が円坐を初めて経験したのは26歳の誕生日の日、タイででした。

それ以前は芝居ばかりで、結局芸能界と自分が一致せず芝居をやめた不勉強な自分
は、

虚構ではない現実と向き合った時に今までの全ての経験が無駄だったのかなと考えた
りもしました。



それから、家族が影舞をしているのは知っていましたが見たことのなかった僕に、

内心参加しないと思っていた姉が誘ってくれ、

その時関心のなかった僕は何故か二つ返事で影舞のクラスに出てみることに。



初見時、やっている事は舞台と変わらなく見えるが、

立っている本人達に舞台という制約と言うかそう言った自覚がなく見える。

ただ本人達のまま、現実の状態のままで

舞台という虚構の上にストレスなく立っているところに目を引かれました。



自分が嫌いで、人生の内の少しの時間でも自分を忘れるために舞台に立っていた自分
とは

真逆だったからかなと今は思います。



影舞が終わり数日後にタイで円坐を経験し、更にタイの現地の人とも円坐をできたの
が良かったのか、

国や生まれが違えば色々自分とも違うものだろうと思っていたのがそんな不自由なも
のでなく、

ただ単純に人間で、自分と他人なだけで、その自分と自覚する感覚も目の前の他人が
与えてくれるものなんだと感じ、

そう言った感覚が芝居をしていた時の感性と思考に直結して、約2年円坐に関わる生
活をして来ました。



お芝居は現実をわかりやすくデフォルメし、

現実から輸入して来たものでおままごとをしているだけで舞台から現実へは不可逆な
もの。



現実の人たちに虚構の場から物申すのは失礼だと考えていましたが、

その二つの経験から舞台から現実へ逆輸入できるのではないかと思い、

失礼なのは重々承知で役者をしていた時の自分の感性だけを頼りに、

しかし自分ももう役者や舞台人ではなく、

ただ相手と対等な人なのだからどこまで虚構と現実を重ねて良いのか、

虚構からの感覚で相手の現実に言葉を残すのは良い事なのかを考えてきました。



約2年考えて来ましたが、無駄だと思っていたお芝居の経験だけを頼りに様々な人に
会い、

言葉をもらい、虚構から見た景色の興味から入った円坐は僕の現実になり、

いつしか現実で舞台言語を純粋に使うようになっていました。



それは自分が不勉強ながら、現実の言語ではお互い会話すらできないと感じたからで
す。

僕の感覚、僕の現実での話ですが、結局自分自身の人生で作られたアンテナで受信
し、

自分の住んでいる世界の言語で話すしか出来ないので、

ただ話すだけでは共感はおろか会話すら出来ないように感じます。



お互いの言語の翻訳を2人で感情に流されずやれれば会話もできると思いますが、

僕の場合それは非常に時間のかかる行為でした。

なのでひとつ同じ現実を経験するにはお互い同じシーンを見るしかない、

それにしても見る位置角度が当然違うので同じ現実とは程遠いが、

同じお芝居の同じシーンを別々の客席からでも見られれば、その一瞬の感想は言い合
えるはずなので、

そこで初めて自分と他人の会話ができると思っています。



そういう意味では父の話している円坐の世界観は全て父の物、父の客席で、

他の人には全て他の人の円坐の世界観、アンテナと言語が必ずありそれを使って父の
円坐の否定をしてぶつからないと、

しっかり自分からみた自分の現実の話をしないと、

自分の感情や願望ではなくそこに至るまでのシーンを的確に伝えなければ、

ただの言葉では絶対に相手に自分の見てる景色は伝わらないと思っています。



次回の石切では、僕はそう言ったことを踏まえ興味を持ちながら挑みたいと思ってい
ます。

父の席から見た父の言語で話す場ではなく、ひとつシーンをそれぞれの客席からそれ
ぞれの言語の景色で

言い合える物になれば良いなと思っています。

長くなりましたが今年も一年、よろしく御願い致します。







★★★

生駒石切円坐舞台守人十六番稽古の主に、

日曜日に参ります、松岡弘子と申します。

どうぞよろしくご挨拶申し上げます。



わたしがこのような稽古の場に身をおきますと、

非常に迷惑がられる場面に、何度も遭遇します。



わたしは、この世でもっとも最低な存在として、

師のもとに参る、貴重な機会です。



では、なぜ稽古場に往くのでしょうか。



ただ、会いたいがためです。



好きとか、嫌いとかではありません。

他に誰もいないから、

往くのみです。



他に代わりの者がいるなら、

わたしは、もう往きません。



どんな生き様であっても・・

わたしは生きている人に近づいていきます。

たとえ離れていこうとも、去ろうともです。



ひとに好かれたくて、

期待にこたえたくて、

接近したいのではありません。



すべてはこの世の名残りです。



会いたくて、会いたくて・・

今回もまた、石切へ参ります。



どうぞよろしくお願いいたします。



松岡弘子







★★★★

ご挨拶

                           橋本 みさこ





「有無の一坐 」  本年は本格的始動開始となりまして  誠におめでとうございま
す。



一坐のお仲間にさせていただき  感謝します。



一坐というと やはりくにちゃんのおかあさんを思います。



幼き仁美  悠の傍らにいつもいてくれた。あたたかい懐で包んでくれた。



お陰で大きくなりました。人に愛され、優しさを忘れない鬼滅の刄をきらり。



さぁ大海をのぞみ大空を駆け抜けよう。



私のやることは、くにちゃんが夢中に話し出したらタイムキーパーとなること。水を
差すこと。



ただ お二人さん   忘れないでね。私のお腹のスペースを間借りしたこと、



あったよね。







★★★★★

有無の一坐坐長 円坐家族橋本一家家長の橋本久仁彦です。

このたび生駒石切円坐舞台守人十六番稽古を立ち上げました。



僕はなぜ円坐をするのか。なぜ人々と会い続け、円坐守人の稽古をするのか。



父が獣医師として自宅で開業していたため小さいころから動物たちの生き死にを見、

母が抗生剤のショック体質でいつ死に別れるかとびくびくして育ちました。

父は大丈夫と思いきや中学一年の時に突然亡くなりました。

以来、大切な人が死に自分もやがて死ぬなら、今なぜ生きているのか、問いを持ちま
した。



生きている意味、それは僕にとって「人間関係」すなわち他者が存在していることで
した。

それは「愛」だと言ってしまうと抽象的です。

自分ではないすべての他人との具体的な命がけの関係性のことです。

他者の存在と他者との関係性が、たとえそれがどんなに悲しい否定的なものであって
も、僕が信じられる確かなものでした。

自意識は強くていつも自分を意識していましたが、自分をいくら意識しても少しも安
定せず、

人からよく思われるため、いいイメージを人に感じさせるため、他者にはバレないと
思って微妙なウソの言葉を重ねていました。

毎朝学校に行く前も、職場に行く時も、かすかな得体のしれない不安がみぞおちあた
りにありました。



大学生の時カウンセリングとエンカウンターグループに出会い、精神医学や心理療
法、哲学、宗教と学びを広げました。

しかし、本当に納得して心が落ち着くことはありませんでした。すべて知識だったか
らです。

灯台下暗し、これほど人間関係の仕事をやりながら、目の前の人の言葉を本当には一
度も聞いていなかったのです。

自分の頭の中の声や考えを一番大事だと思い込んで聞き続けていました。



しかし今振り返れば僕に根本的な転回を準備したのは、死を意識したことと非構成の
集中的グループでした。

そしてそのグループを主催していた世話人(今で言うファシリテーターに近い)の在
り方でした。

技法としての「グル―プ」ではなく主催者、世話人の人となり、態度、在り方にはっ
きり触れたので影響を受けたのです。

西光義敞、岸田博、石原文里という今は亡き、僕の魂に形を与える「世話人」、恩師
に出遇えたこと。



彼らは愛や信頼や美や成長や気づきその他どんな美辞麗句も掲げませんでした。

ただ我々とともにいて、彼らの「本当」がいつもそこにありました。

そのお陰で僕も「本当」を感じ始めました。

そして言葉や概念で説明するよりは、僕という空間の中を直接見つめ、ふれてきまし
た。

彼らとともにいるという体験は学習ではなく知識でもなかった。

彼らの臨在でした。彼らが生きて僕とともにあることでした。だから今も彼らはそば
にいます。



非構成グループの面白さに目覚めた僕は、学校現場や心理療法やお寺や企業など、

いろんな場所のグループで経験を深めました。

しかし「死ぬために生きていること」に問いを持つ僕が本当に納得できる場はどこに
もなかったのです。



ここで「場」や「グループ」というのも知識であることが見えてきました。

「非構成」や「集中する」ということも一つの知識です。

僕が本当に影響を受けたのはグループや場ではなく、非構成や集中でもなく、人その
ものの「臨在」であるということ。

その人が死んでいなくなれば、その人はもう二度とどこにもいないということ。

そして僕がこの人生で求めていたのは、場ではなく、二度とどこにもいなくなる「そ
の人そのもの」だということ。

確実に二度と会えなくなるからこそ、その人が今目の前にいると確信できるというこ
と。



さらに「“二度といなくなる”その人そのもの」を「与えてくれる」ようなグル―プ
やセラピーやワークなどあり得ないということ。

「“二度といなくなる”その人」にふれるようなどんな手段も方法もないというこ
と。

あらゆる手段や方法はいつでも「ある」ことばかり追い求めているので「その人の
“いなくなること”」を感じ取れず、見ることができない。



自分自身が二度といなくなる自分としてその人の前に立つ以外、二度といなくなるそ
の人にふれることは不可能である。

言い換えれば、自分自身がたった一度きりしかいない自分として、たった一度きりし
かいないその人の前に立つこと。



あらゆる人間関係理論も心理学も「“二度といなくなる”その人」とはなんの関係も
ない色のついた自意識に過ぎない。



だからその人に「ふれたい」なら僕が自分でその人にふれるしかないのだというこ
と。

二度といなくなる身であるから微妙なウソをついてイメージ操作する必要はない。

たった一度きりの自分自身でその人に手を伸ばせばとどくところまで出向き、

「その人」という時空間の中でまなざし合い、肉声を辿り合い、存在を重ね合って
「ふれる」ということ。



それが、円坐です。

円坐はワークではなくグループや場でさえもなく、直接生身の人間に対峙し、仕合
い、その人という「活きている空間」の中で生きることです。

これが面白い。腹の底から面白く、二度といなくなる身であるからこそ悔いなく納得
できる現場であると思います。

円坐を一生続けても飽きないのは、この面白さが時間を超えているからです。

我々がもう二度といなくなることが決定していると、退屈するということが無いので
す。

退屈するためには自分がいつもあると思い込んでいる必要があります。

自分には時間があると信じて「たった一度きり」を延期する必要がある。



こういうわけで僕は間延びした時間にすぎない「自分はある」を増強する「ワーク
ショップ」や「カウンセリング」の看板を下ろし、

「二度といなくなる一度きり」である円坐を日々の仕事にして「有無の一坐」と号し
ています。



円坐を通じて人々に出会い続けるのは、それがもう二度といなくなる一度きりの僕の
人生の意味のすべてだと感じるから。

稽古をするのは「稽古」が二度といなくなるその人とふれあい、はっきりと一度きり
存在しあうことだから。

もう二度といなくなるその人が僕の中に臨在し、たった一度きり僕が生きた証として
心臓のように脈打っているから。

そして二度といなくなるその人の中に僕が生きて、たった一度きりその人が生きた証
としてその人の心臓になって脈打つから。



 

                           以上。





★日程



一番稽古 4月3日土曜日

二番稽古 4月4日日曜日

三番稽古 5月15日土曜日

四番稽古 5月16日日曜日

五番稽古 6月12日土曜日

六番稽古 6月13日日曜日

七番稽古 7月3日土曜日

八番稽古 7月4日日曜日

九番稽古 7月31日土曜日

十番稽古 8月1日日曜日

十一番稽古9月4日土曜日

十二番稽古9月5日日曜日

十三番稽古10月2日土曜日

十四番稽古10月3日日曜日

十五番稽古11月6日土曜日

十六番稽古11月7日日曜日 





会場 東大阪市生駒石切有無の一道場  



申し込み・お問合せ  橋本久仁彦(enzabutai @ bca.bai.ne.jp)まで。











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