[SIJ: 21580] 葉月八月暑中お見舞い円坐舞台 ご案内

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2021年 8月 5日 (木) 15:36:15 JST


皆様へ。

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

「きくみるはなす縁坐舞台」折句となって「きみは舞台」。

大阪千代崎の稽古場では、対談舞台や影舞舞台、ヒトガタ縁坐舞台の時空が毎日のように

立ち上がっています。

遠路はるばる来られた物理的な距離や、生まれてから今まで生きて来られた時間、過ぎ越し方が

ご縁を結んでくださった遥かな方々の面影と重なり合い、

数分間の高次元の舞いの舞台空間となって我ら坐衆に降りかかります。

 

我らより先に存在し、我らの後も存在している「分けられないもの」が、

影舞の「指先の先」や「言葉のてにをは」や「円に坐るという間柄」の中に

具体的な身体感覚でとらえられる形となって顕れてくるということが、

きくみるはなす縁坐舞台の一番面白いところです。

 

僕にとってはそれが芸能や芸術の本質であり、「舞台」の本来の役割でもあります。

 

そしてその本質を、専門家ではないただのひとりのあなたとわたしが担うということ。

 

さらにその本質こそ、ただのひとりのあなたとわたしの正体であったということ。

 

こうしてこの日常生活のど真ん中で、本当に「きみは舞台」が実現していきます。

 

これが、まっすぐに最期の日に向かって歩いて往ける私の一本道であり、

この世を名残り、見納めて、ただひとり目を閉じれば再び皆様と、

道を共にする喜びとともに彼岸に目覚める新たな青春の始まりです。

 

 

「でんしゃくる ただそれだけで 幼子は 全身歓喜の火だるまとなる」

 

 

      口承即興~円坐影舞 有無の一坐  はしもとくにひこ(Sw.Deva Premi)

 

 

 

①非常事態下ですが現地から訪問受け入れの言葉をいただいて参ります8月11,12,13日の

徳島上勝名残りの出稽古インターン参加は二名決定しましたが、車が一台増えましたので

もう一名同道可能です。お問い合わせは橋本まで。

 

 「私はもっと未練なく生きていた事を思い出しました」

 

 「自分の中に、なにか貴重なものが、積もっていっているように思います」。

 

                   (ご参加の言葉より)

 

 

②「道即是空蓼科相聞円坐」8月8,9日(日・月曜日)

③「有無の一坐 様の盆おどり 円坐舞台」8月15日(日曜日)

④「影舞山月記(鬼)」8月17日(火曜日)

⑤「葉月相聞茶堂」8月19日(木曜日)

⑥「中野方円坐守人稲妻稽古」8月20、21、22日(金・土・日曜日)

⑦「高野山大学スピリチュアルケアコース・コミュニケーション実習~未二観影舞」

 8月23,24,25日(月・火・水曜日)

⑧「盆暮円坐」8月29日(日曜日)

⑨「影舞山月記(鬼)」8月31日(火曜日)

 

            以上。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

⑧「盆暮円坐」は東京から守人として戸高徳子さんをお迎えします。

ご挨拶文を以下に掲載します。

⑤「葉月相聞茶堂」のご案内文も末尾に掲載いたしました。

 

 

 

みなさま

 

八月 盆暮円坐 第二弾ご案内です。 

 

守人 戸高徳子さんの案内文を、

下記に掲載しております。

 

着地点のない案内文です、

と送ってくださいました。

 

戸高徳子さんの案内文に、

着地点はないのでしょうか。

 

着地点が何なのか、

わたしにはわからないのですが、

唯、自己完結した世界とは違い、

時空を超え問い続ける言葉には、

迫力と余白があり、それは伝わってきます。

 

本当に問い、

問われた言葉には、

川の様に血が通い流れています。

 

容易に消えたり無かったことに、

なりません。

 

それでは、

八月 盆暮円坐 石切にて、

ご縁をお待ちしております。

 

松岡弘子

 

 

・・・

 

 

大阪での盆暮円坐の開催、

3年ぶりとなります。

 

今回盆暮円坐を開催する場所は

私が3年前に通った

その当時守人研鑽クラスが開催されていた場所と同じ

大阪の石切のあの場所。

 

毎月通っていたせいだからか、

あの場所を思うだけで、、、

 

一緒にいた人それぞれの表情

雨の日に大きくなる川の音

二階の窓から見た夕焼けと雲

夕焼けに照らされて動く影

触れてくる風の流れ

たくさんの濃い景色が思い出され

 

幾十にも景色が重なったあの場所を思い出していると、

帰る、還る・・

感じが私にあって。

 

それも鮭が生まれた場所に産卵のために帰る

母川回帰のような

帰る、還る・・・

がする。

と思っていたら、

くにちゃん、くぅさんの顔が目に浮かんできました。

 

くにちゃんのもとへ、かえる?どういうこと?

 

2018年の大阪の未二観のクラスで

レビュー後、逐語録の裏に

緑の色鉛筆でくにちゃんが書いてくれた言葉の一部

 

ー話せるよりこんな風に聞いて辿れる方が

 ずっと楽しくて面白い世界が見れるね

 

私はうまく話せないことが

ずーっと引っかかっていたようで

大阪に通っていた当時でも

この言葉が

本当のど真ん中には

きてなかったようで

 

その後

出産し、子育て真っ最中の今

こどもを聞いて辿る毎日の今

 

ー話せるよりこんな風に聞いて辿れる方が

 ずっと楽しくて面白い世界が見れるね

 

が響いて、

これほどこの言葉が

今ほど腑に落ちたことはなくって

こんなに世界の方から来てたんだって。

 

初めての子育てで、

いっぱいいっぱいでもありながら

「今、本当に楽しくて面白い世界を見ています」

と、大阪に行って、くにちゃんに

直接伝える機会があるかはわかりませんが、

そう日々感じて暮らしている私のまま

くにちゃんがいる大阪へ行くのが

母川回帰のような

帰る、還る・・

感じがしているのかもしれません。

 

くぅさんは、案内文に毎度書いてますが、

私にとっての大事な転換期の点

どんな時でも

ずーっと見守って

伴走してくださる人です。

 

小さい頃、

買い物を頼まれたスーパーからの夜の帰り道、

いつも必ず大きなお月様がついてきてくれて

嬉しく歩けるような

 

その姿を見るとホッとする

どこからも見えて

そこ居てくれるのがありがたい

富士山のような

 

そんな

私にとってのお月様のような

私にとっての富士山のような方でもあります。

 

くぅさんが、いつも見守ってくれているのを感じつつ、

だからこそ、円坐ならなおさら、

今の私のどんな姿でも見せる相手だとも思っていて、

くぅさんの前だと自然に

どんどん何かが落ちていくような

ポロポロ剥がれていくような

真ん中にある私そのままで

むき出しでむかえる感じがあって、

いつの間にか、

くぅさんとのやりとりや

くぅさんとの盆暮円坐は

私が私の源流に帰る

かけがえのない時間になっています。

 

円坐のおかげでできたご縁で大阪に、

くにちゃん、くぅさん、

私の源流の匂いがする大きな河の元へ

今回帰る、還る・・・ことが

できることが大変嬉しく、

石切で皆様とお会いできるご縁を心よりお待ちしております。

 

戸高徳子

 

・・・

 

みなさま

 

こんにちは。

 

八月 盆暮円坐のご案内です。

 

昨年末の盆暮円坐では、

年の暮れに東京の戸高邸で開催させていただき、

ご参集くださいました方々、ありがとうございました。

 

今年は3年ぶりになります、

八月 盆暮円坐を開催いたします。

 

主にのりちゃんの日々の暮らしを交えた、

幾通ものお便りを重ねて開催に至ります。

 

仲良しとか馴染みとか、そういうのではないけれど、

のりちゃんとは死ぬまで付き合う数少ない友人です。

 

このたびは、石切の盆暮円坐にて再会を果たします。

 

盆暮円坐の会場に使わせていただく石切の家屋は、

風通しのいい佇まいで、大阪市内の町が一望でき、

川のせせらぎ、鳥の啼く声、木々に揺れる風の音等が、

ふとした瞬間、円坐舞台に響き入るロケーションです。

 

夕暮時の町の上の雲海に、

もう一つのこの世があらわれたこともあります。

 

盆暮円坐が実現するきっかけになった未二観を、

高槻の摂津峡でしましたが、その時も・・

真っ赤な夕暮れに染まり、染みました。

 

夕暮れ空が赤く染まるのは、

みえないからだに流れる血の色なのでしょうか。

 

人生が暮れていく、年をとる、人に会う、

それらすべて彼此辺境の灯に照らされる円坐舞台。

このたび、八月 盆暮円坐 舞台を開催いたします。

 

ご縁ある方のお越しをどうぞお待ちしております。

 

 

松岡弘子

 

 

< 八月 盆暮円坐@大阪石切 開催要項 >

 

◇日 時 2021年8月29日日曜日 11時~17時

◇場 所 石切相聞亭(大阪府東大阪市石切)

◇守 人 松岡弘子・戸高徳子

◇会 費 八千円

◇申 込 松岡弘子 soumon.enza @ gmail.com

     戸高徳子 norikolina @ gmail.com

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みなさま

 

梅雨明け前の大阪です。

夏が近づいて来ました。

 

雷鳴が轟き夕立が降り、

梅雨の晴れ間の空には、

入道雲が時おりあらはれ始めました。

 

お天気は人の喜怒哀楽と連動してて、

空も涙を流し曇ったり晴れたりして、

おかげで木や葉や花もかがやいています。

 

今日は左の奥の親不知を抜いたので、

お昼は柔らかく料理して食べました。

 

大きさや柔らかさも、

口に入る時の事を考えて作ってると、

離乳食を作ってた頃の事を思い出したり・・

 

ふと、母も言ってましたが、

歳を重ねてくると

硬いものが食べにくくなり、

発酵して柔らかいものとか、

煮て香りも味も染み出しているのが、

段々美味しくなってくるというのは、

本当にその通りだなあと今日思いました。

 

八月は葉月といいますが、

葉が生い茂るからかと思いましたが、

旧暦だと葉落ちの月となるそうです。

 

葉と歯は不思議ですが音が同じです。

 

最近、奥歯の親不知が欠けたので、

今朝、抜くことになったのですが、

特に親不知は歯の中でも根が深く、

血が結構出てとても痛かったです。

 

うっかり転倒し、

膝を強打して膝の身が裂けた時と、

同じような痛みなんですが、

その時も今日も、不思議と、

同じ静けさの中に、います。

 

だんだん身体が衰えてくると、

みえないからだが目を覚まし、

いろいんな音や声が聞こえて、

物質界からは、

静かになるそんな気がします。

 

目が視えないとか、

耳が聴こえないとか、

本当に障がいなのでしょうか。

 

ほんとうは、いろいんな色が見えていたり、

色いんな音が聞こえてるかもしれないので、

健康な身体と比べる事は出来ませんが・・

世間の定説何ぞ必ずしも、

なのかもしれないなあと、

そんなことをあらためて思いました。

 

母も言う様に柔らかく炊いた煮物や、

煮込んだスープや炊き込みごはんが、

美味しい年齢になってまいりました。

 

母や祖母と同じように、

歳をとってきている気がしています。

 

 

石切相聞茶堂の時空も、

どこか似た質感があります。

 

ふとした瞬間、

川のせせらぎや雨音や外の音が、

とても静かに響き入ってきます。

 

 

それでは、

葉月 相聞茶堂にて、

ご縁をお待ちしております。

 

 

松岡弘子

 

 

<<  葉月 相聞茶堂 開催要項 >>

 

◇ 開催日時:8月119日(木) 10〜17時

 

◇ 茶堂場所:東大阪『石切 相聞亭』

 

◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠

 

◇ 内容:未二観・影舞・円坐・円坐舞台

 

◇ 会費:一万円

 

◇ 申込:soumon.enza @ gmail.com 松岡

 

◇ ご挨拶:

 

相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。令和三年一月より『石切 相聞亭』にて開催いたしております。

 

「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。

 

「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

 

その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。

 

歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。

 

人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。

 

わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。

 

そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。

 

同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。

 

では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

松岡弘子

 

 



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